火花 又吉直樹

 

話題の本ですねw

 

発売時に乗り遅れてしまってたんですが、

たまたまお客様と、

「いまどこも売り切れらしいですねー!」

と、そんな話をしていた帰りに寄ったツタヤにあったもんだから、

自動的に買ってしまいました(笑)

 

 

そもそも又吉さんのことは、テレビ見ないくせに知ってまして、

何ならほのかに大好きでして。

 

それというのも、「本好き」というのを知っていたからでした。

 

いまよりもインターネットがまだ身近じゃない頃、

無性に読書にハマり始めた頃があって、

その時のわたしの情報網が、

「ダヴィンチ」という、本屋漫画の情報誌だったんです。

そこに、だいぶ昔から、又吉さん、出てまして。

 

ちょっと暗そうな雰囲気やロン毛は、まさにツボでしたww

お顔もかっこいいし、センスも良いなーって。

ただ、当時からテレビ見てなくて、

意外と当時のお客様の反応は「キモキャラ」やっちゃなぁーってゆー・・・w

 

 

話題作なだけに、レビューは見ずに読みました。

 

最初、躊躇した理由が「純文学」らしい、という理由からだったんですが、

よく考えたら、わたしがそもそも純文学とは何か、とゆーことは知らなくてw

何となくイメージで、固そうなね、、そんなイメージだったんですが。

読み始めて、「え?こんな感じやっちゃww」ってなりましたw

 

 

 

純文学とは

「(通俗文学と区別して)純粋な芸術性を目的として創作される文芸作品。」

だそうです。

 

芥川賞が、これに該当するのに対して、直木賞のほうは、大衆文学が相当するみたいですね。

 

大衆文学とは

「大衆性がある通俗文学。大衆文芸。」

 

 

純文学は、「芸術性」「形式」を重視、

大衆文学は、「娯楽性」「商業性」を重視してるんだそうです。

 

 

そういうことを考えながら本を読んだことがなかったのですが、

ある意味、こんなに話題になったからこそ、わたしも意味を知ろうとした訳なので、

こういう部分でも、又吉さんが文芸に貢献した功績は大きいのではないかと思います。

 

かっこぃぃなぁーw

 

本の方は、飛行機の行き帰りで読ませてもらったんですが、「純文学!」と言われても、わたしにはよくわからないままでした。

漫才師のお話で、関西弁が心地よい小説、でした。

 

ただ、個人的にはずっと、主人公は私の中では又吉さんでした。

 

主人公の、天才ではないし、どちらかというと人とうまく交われない性格なんだけど、

何かをしたい、何かひとに投じて喜んでもらいたい、という相反する心模様が、淡々と書かれてるんですけど。

なんか、しみしみと、心に染み込んでくるようでした。

 

わたしが、今まさにそんな感じの自分と対峙してます。

 

後半は、両隣、おじさまに挟まれた飛行機の座席の中、泣きながら読みました。

 

あ、これは、個人差あるのでww

基本私、涙腺の蛇口開きっぱなしタイプですので。悪しからず。

 

 

わたしは、名前がちょっとかわってるんですけど、

子供の頃からそういう扱いなので、どこか、自分でも人と変わらなきゃっていう気負いがありました。

変わってないと、否定しかなくなるような、そんな強迫観念のような。。

 

でも、中身は実は、真面目な部分の方が多いし、いたって凡庸なスキルしかなかったんですよね。

そういう自分が、何かに一生懸命になれるようになってきた今、やっと少し見え始めてきました。

 

その、等身大の自分が、今から何ができるか。

 

ある意味、自分が、自分自身が、生きていくための自分の最大の武器なんだと。

 

なんか、そんなことを思いました。

 

 

凡人は、天才に憧れます。危ういほどに、天才な人に。

 

でも、角度なのかなぁ。って。そういう風にも思います。

 

 

わたしがわたしのためにわたしを知りわたしという武器を最大限に活かせる道を決める。

 

そして、いまのわたしを知るのは、絶対、他人の中の私を見なければ、いけないと思う。

こわいけど。

 

 

なんか、純文学、よろしゅーございました。

 

 

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