初投稿が、なんか、不穏なものになっております・・・
かつらこと申します。よろしくお願いします。
ジャケ買いです。
女性の精神科医に書かれたこの本ですが。
かなりお勧め。
挿絵が可愛いのが、なんともシュールです。
最初の煽り文句が
女子の人間関係ってめんどくさい!
・比べたがる 「女」
・敵味方を作りたがる「女」
・形ばかりのつながりを求める「女」
・自分は自分他人は他人ができない「女」
・演じる「女」 恋愛で変わってしまう「女」
・自分の中の「女」
・・・・・・と、どう付き合えばいいのか
女子のみなさんだったら、
ああ、うんうん。。てうなずいてしまうとこないですか?w
この本で使われる、カッコの中の「女」は、
いわゆる、性別、女子を表しているのではなく、
女性の中の、嫌~な「女」の部分、困った部分を総じて、「女」と表現しています。
かなり読みやすいので、まぁ、読んでくれと思いますが。
男性でもこの「女」の部分を多く持ったひとがたまにいらっしゃいます。
この、「女」の原因は、主に、傷つけられてきた人たちに顕著に出るようだと書かれています。
いつも否定されて育ってきた人は
自分の意見と違う意見を持っている人を見ると、「否定された」と感じがち。
人から虐待的な扱いを受けてきた人は
人を見た時にまず、「自分の敵か味方か」を区別したがる。
いつも否定されて育ってきた人は
もちろん自分の気持ちを素直に打ち明けることが苦手。
いつも他人から傷つけられてきた人は
「自分の領域」と「他人の領域」の区別がつきにくい。
自分を守るために、いつも相手の顔色を読みながら生きてきた人も多いため「察する」ことが当然のことになってしまい、「伝えなければならない」というこを知らないのです。
このくだり・・・
ものすごく、深かったです。この先が、めちゃ、深かった。
そして、女性の場合、特に、虐げられた経験がなくとも、この現象が出やすいと書いてます。
なぜか。
女性は、男性から選ばれる性、だというところ。
このくだりの喩え話がまた、ううんと、納得。
選ばれる性だということは、
「自分はどうしたいか」よりも「どうしたら開いてから好かれるか」になってしまうため、
女が無力になってしまうと。
少し、説明の例を書き出してみます。
長いのでスルーしてもw
社会的に活躍してる人に対して「子どもも産んでない癖に」などとよくいわれることがありますがその非難が単に「子育て経験が無いことによる無知や親としての人間成長がないこと」にとどまるのではなく、より広範囲の人格攻撃のようになってしまうことが多いのは、子どもを育てるために自分の可能性の多くを犠牲にしたという思いがまだ癒されてないから。
あるいは、社会的に活躍しつつ、かつ子どもも持ってる、という女性に対しては「どうせ自分で育てないで保育園やベビーシッターにやらせているんでしょう。そんな無責任な子育てで、親の絆ができるの?」などと言われることも。
これも、「女同士の足の引っ張り合い」ではなく、子育ての責任がまだまだ女性の肩にかかっているから、と言えるでしょう。
男性に対して「子育ての経験もないくせに」「どうせ自分で育ててないんでしょう?」などという非難がむけられることはあまりないですね。
子どもを育てるときに夫婦で分かち合うのではなく、子どもは女性が育てるべき、という感覚がいまだに強いのです。
もちろん子どもを育てるのは幸せなことと言えるのですが、自由が犠牲になるという側面は無視できません。
ですから「子どもは女性が育てるべき」ということは、「子どものためには女性が自由を犠牲にすべき」という意味になってしまいます。
一般に、自分が「べき」で縛られてる人は他人の事も「べき」縛りたがるでものです。
なぜ、女の敵は女なのか。
その例を上記のような形でいろいろ紹介してくれて、
次で、実際の相談形式で例があげられていきます。
そこで、関係無いって顔して読んでる男子にこそ、一度読んでいただきたいと思います。
身近な家族で、職場で、部下で、そしてパートナーで、
絶対、心当たりのあるエピソードがあると思います。
癒してあげてほしいと、思います。
そして、女子のみなさんには、非常に毒舌調ながら、淡々と書かれてる文章に、
なぜか癒されること請け合いです。
極論かなぁという部分もありますが、まずは自分の中の「女」を捨てていくことをはじめる、というところに、未来の希望と展望が見える気がしました。
わたしも、「女」の塊なので・・・・爆
今年の目標は整理整頓。
よい本を読みました(笑)