医者が教える幸せな死のかたち 加藤豊(医学博士)

「暗っっ」

って言われてしまいそうなタイトルですが・・・

 

 

 

極論、残りの人生どうやって生きていくかということは、

最終地点は、ここであるんかなぁと。

 

お客様とお話してて、この前、「自分の孤独死について考えてたら、何日も夜が眠れなくなって」という方がおられました。

 

結婚してる人より、こういうことはわたしたちのような人(特に女性)のほうが考えるのかもしれないですね。

 

ただ、わたし個人はまだピンと来てなくて。。

 

 

祖父が亡くなった時、別れた旦那さんのおばあちゃんが亡くなった時、父が亡くなった時、ワンニャンが亡くなった時。

 

なぜか、その瞬間に立ち会うことが多く。

 

誤解を恐れず発言するならば、出来れば、居たくない・・・・

だって泣いちゃうから。痛いくらいしんどいから。

 

でも、こういうのって、男子の方が弱いのでしょうか。

元旦那さんも兄も、それぞれ、来なかったですね。

 

そういう、人の、「最後」というシーンにおいて、「幸せ」って何やっちゃろ・・・

と、思った時、ふと目についたので。買ってみましたw

 

 

結果から言うと、これは、精神論ではなく、実践編と言いますか。

いままさに、亡くなる前の方(と言ったら良い方悪いですが・・・)とともにしてらっしゃる人向けの本でした。

 

 

病院との関わり合いや、入院、施設の話から、自宅介護にいたるまで。

いろんな事例で書かれてます。

 

思い出すのは、父が亡くなった時でした。

まさに、この本に書かれてることがそのまんまトレースされてるかのような内容で、少し笑いがでたほど・・・

 

本の初めの方で、「47万人が死に場所を失う」と題された章で、いまの病院の体制のことが書かれてました。

 

うちの父が亡くなったのは7年前なのですが、この章でかかれている、

「史上最大のマイナス改定」

と呼ばれる病床削減対策が実施された直後に、うちの父は入院しました。

 

この改定では、高齢者の増加に策して、
病院に対して入院日数の制限を設定し、それを超えた患者の医療保険点数を大幅に減らすことで、病院が患者を早期に退院させるように誘導した、というものです。

 

どういうことかと言いますと、要するに「急性期の病院」宮崎で言うと、医大や県病院といった、大きい病院ですね。
そういう、緊急を要する人達が行く病院には、基本、3ヶ月しか入院できないもの、という決まりです。

入院させ続けると、病院が大赤字になってしまうという仕組みですね。。

 

特殊な病気がどうなのか、そこまでちょっとわからないのですが、
うちの父の時も、そうでした。

 

人工呼吸をしてしまったおかげで、寝着いてしまい、けっきょく気管切開をし、しゃべれない、たべれない、という状態の中、全く治ってない状況での転院です。

 

びっくりというか、ただただショックでした。無知でしたので。

 

なんで??ひどくなってるのになんで??って。

 

それまで最高の看護をしていただいてたのもあって、転院した先では、心ないお医者さんの言葉に、さらに打ちのめされたものでした。

 

延命処置についても書かれてました。

 

今の医療は「死なせない」ということが発達しています。

同系列で話すのはいけないかもしれませんが、動物の方も一緒ですね。

 

前いた猫の時、お医者さんに「どこまでするかですね」って言われました。

 

寿命って、伸ばせるのですよね。ただ、生きてることだけで良ければ。

 

父の気管切開の時も、私たち家族では決められず、意識は、はっきりしていた父に決めてもらいました。

喋れず、食べれない状態の父は、それでも、リハビリして治る、というお医者さんの言葉により、
気管切開を選びました。

 

でも。

 

それから1年弱。

ベッドの上で動けないまま、本当に、なーーーーーんにもできない状態で、意識だけははっきりとした状態で、生きてました。

 

胃を切っていたので、転院の際、腸ろうを作って、腸に直接、栄養を入れる状態だったのですが、その傷口がいつも痛かったみたいでした。

 

もちろん、たんを吸い取る作業もいつも辛そうでした。

何もできないけれど、毎日病院に通う母が、一番辛かったと思います。

 

だって、食べれないので、差し入れも持って行けないし、食べ物写ると辛いのでテレビ見れないし、もう、喋ることもできないんですもんね。

脚をさすってあげることしかできないんです。ほとんど、お肉が落ちちゃってるので、とても慎重にあつかわなければなりません。

 

あのとき、わたしがマッサージできてたらなぁ・・・て思いますw

 

美容師の仕事は、人生を彩ってあげられる仕事ですが、究極になった時。

たとえば、入院した時、震災直後、自分が元気で、なにかしてあげれるものってなったとき、

マッサージの技術は、最初に来ると思うんです。

 

美容は、次のステージでの活力な気がするんです。

 

なので、こっそり、上手になりたいなぁと思ってるのです。

 

 

あ。

だいぶ本筋からそれたな。。。

この章の最後には、2030年には、47万人が死に場所を失う、と書いてあります。

それだけ、延命治療が高度になり、高齢者が増え、ベッドが足りなくなってきているということなんでしょう。

 

 

そして、人が亡くなる時、

 

よほど、用意周到にしておかないと、延命治療を望まない本人の意図に反して、遠くの親戚がやってきて、勝手に延命措置を指示してしまったりするという話。

 

たとえば、本人の意思で延命措置を取らないのに、本人の兄弟とかが、奥さん子供に対して「人殺し」扱いをしてしまうような、極端なケースもでてくるというわけですね。

 

そんな状態ですから、本人はもちろん、意識なかったりしますしね。。。

 

そう言う中の、幸せな死とは、なんなのか。

 

 

著者は、ベッドでチューブにつながれて、延命しながら亡くなっていくことを幸せな死ではない、と定義して、
いろいろなお話をしています。

 

自宅で家族にみとられて、穏やかに無くなるのが幸せな死だと書いてます。

 

 

確かに、最初のころは、父もしきりに家に帰りたがってました。

 

しかし、痰を吸引してもらわないといけなかったので、叶わないままでした。
亡くなった後も、父の本が、家のすべてを占領していたので、帰ることは叶いませんでした。
これは、自業自得ですけどね。。。。w

 

 

 

わたしは。

ものすごくひねくれてひねくれてひねくれすぎてるのかもしれませんが。

 

なんにも、思いつかないです。なにが幸せな死なのか。

 

 

看取られたいのかなぁ。。。と。

たぶん、いないからでしょうかね。誰も。。そういうことにしててください。。

 

 

私はやっぱり悲しかったから。

 

もし、わたしがマグマよりも深く愛する人がいるとすれば、そういう思いをさせたくない気もします。

 

人に迷惑をかけない準備はある程度必要でしょうけど、たぶん、最後、どんな形であろうと、

結局は、いま、どうやって生きていくか、やっちゃろぅなぁと。

 

 

願わくば、いつかは、帰った時、「ほっ」て、思えるお家が持てたら、それでいいなぁと思ってます。

 

最後の、ちょっと手前までには。。。

 

1人かもしれないし、2人かもしれない。

 

結局妄想話で幕を閉じそうです。。。。

 

 

でもね、わたしみたいに、無知のまま悲しい思いをするのは、二重に苦しいと思います。

 

この著者の人は、若干、現在の医療制度に辛口ですが、丁寧に分かりやすく書いてくれてると思います。

 

 

 

何かの形で、必ず通る道のために。

 

 

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